聖書は、どのクリスチャンも読むべきです。なぜなら、聖書は神の息吹かれたものであり、教えのため、叱責のため、矯正のため、義の中の訓練するために益があるからです(Ⅱテモテ3:16)。この記事では、「聖書を読みたいけど、何から、どうやって読めば良いかわからない人」のための一つの提案として書き進めていきたいと思います。

Ⅰ. 聖書を読むことの重要性

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聖書は、神が過去においてわたしたちのために、どれほどの事をしてくださったかを見せています。また神が過去において人々をどのように導かれたかを見せます。神がわたしたちのために備えられたものがどれだけ豊かで、どれだけ豊富であるかを知るためには聖書を読まなければなりません。神が今日、人に語られる言葉はすべて、神がかつて語られた言葉に基づいています。神が聖書の中で語られなかった言葉をだれかに語られるということはまれです。ですから、神が今日語られることは、ご自身の言葉を繰り返して語られることです。もし人が、神がすでに語られた言葉を知らないなら、神の啓示を得ることは容易ではありません。なぜなら、その人は神に語っていただくための条件に欠けているからです。

聖書は偉大な書物であり、大いなる書物です。わたしたちが生涯の全時間をそれに費やしても、その一部に触れることができるだけです。人が時間をかけないで聖書を知ろうとすることは、不可能なことです。ですから、青年のクリスチャンは最善を尽くして神の言葉に時間を費やす必要があります。そうすれば、中年になった時、老年になった時、豊かな言葉をもって自分自身に供給でき、また他の人に供給できるようになるでしょう。

Ⅱ. 聖書を読むことの基本原則

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聖書を読むのに四つの基本的原則があります。それは以下です。

  1. 事実を発見する
  2. 覚え、記憶する
  3. 分析し、分類し、比較する
  4. 神の照らしを受ける

聖書を読む時、この四つの順序に従うべきであり、第三から第一に飛んだり、第一から第三に飛んだりはできません。第一は聖書の中の事実を発見することです。第二にこれらの事実をしっかりと覚え、よくよく暗記します。神の言葉はどのように言っているかをはっきり知った後、それを記憶します。第三に、これらの事実を分析し、分類し、比較します。神の御前でこれらの事実をよく分析し、よく分類し、よく比較することができたなら、第四の神の照らしを得ることができます。聖書を読む上で、一番重要な点は「聖書の中から事実を読み取ること」です。これができたなら、聖書を読む上での半分の働きを満たしています。

例えば、地球の引力は一つの事実です。ニュートン以前でも、地球には引力が働いていましたが、幾千年も人は発見することができませんでした。ある日、ニュートンが木の下で眠っていると、ひとつのりんごが彼の目の前に落ちてきました。こうしてはじめて彼が地球の引力の法則を発見しました。ですから、問題は事実の有る無しではなく、この事実を発見されるかどうかです。

A. 聖書における事実を発見する具体例

ここで一つの簡単な例を取り上げます。新約聖書において、「主の中で」「キリストの中で」「キリスト・イエスの中で」という言葉は存在しますが、「イエスの中で」「イエス・キリストの中で」という言葉は存在しません。これは事実であり、この事実を知ることが第一の「事実を発見する」ということです。聖書において、「主の中で」と言っている箇所は何を言っているのか?別の箇所で使われる「キリストの中で」とは何を言っているのか?また、「キリスト・イエスの中で」とは何を言っているのか?これらの事実を覚えていれば、取り出して比較することができます。このように分析し、比較し、照らしを求めて神を仰ぎ望む時、わたしたちは何かを見ることができます。

神のあわれみによって光を見るなら、このことが相当はっきりします。このことを理解するためには「イエス」と「キリスト」の違いを理解しなければなりません。「イエス」は「彼の地上の名」であり、「キリスト」は「彼の復活の後の神に油塗られた名」です。

使徒行伝にはこのような御言葉があります。

「あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は主またキリストとされたのです」
使徒行伝 2章36節

この御言葉の意味はこうです。「イエス」という名前の方が、地上で生活し、十字架にかけられて死にました。しかし、神はそのイエスを死者の中から復活させ、神が油塗られた者に与える名、すなわち「キリスト」という新しい名を彼に与えました。ですから、イエスが主またキリストとされたのです。このことから、キリストは彼の復活の名であることがわかります。ローマ人への手紙には「キリスト・イエス」と書かれています(ローマ8:1)。この表現が意味するのは、「キリスト・イエス」という名前が、復活後のイエスの新しい役割と状態を指していることです。つまり、今日の「キリスト」は以前の「イエス」と同一ですが、強調点は復活後の「キリスト」としてのイエスにあります。また、地上にいたときの彼の名前は「イエス・キリスト」でした。これは復活前の名であり、このイエスは将来キリストになるということを意味しています。

要約すると、「キリスト・イエス」 は復活後の状態に強調点があり、「イエス・キリスト」 は復活前の地上での歩みに強調点があります。キリストが以前はイエスであった(キリスト・イエス)ということと、イエスが将来キリストになる(イエス・キリスト)というこの二つの意味は、異なっています。わたしたちは、ただ「キリストの中にいることができる」だけで、イエスの中にいることはできません。なぜなら、「キリスト」は復活後の神の力と命が現れている姿であり、わたしたちが霊的に結びつく対象であるからです。一方、「イエス」は地上における人間としての姿を指し、そのままではわたしたちが霊的に一体となることができません。これが聖書を読む方法です。

まず最初に聖書の中には「主の中で」「キリストの中で」「キリスト・イエスの中で」という言葉は存在するのに、「イエスの中で」「イエス・キリストの中で」という言葉は存在しないという事実を発見しました。これが第一です。第二にこの事実を覚え、記憶しました。第三にこの覚えた事実を分析し、分類し、比較します。分析した結果、「キリスト・イエス」は復活後に強調点があり、「イエス・キリスト」は復活前に強調点があることがわかりました。そして最後に神の御前に出て、祈ります。すると、主はあなたを照らし、さらにはっきりと見せてくださいます。これが聖書を読む四つの原則であり、どれが欠けてもいけません。

Ⅲ. 聖書を読む実行の方法

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ここからは具体的にどのように聖書を読むべきかを交わりたいと思います。まずはじめに、聖書を読む時間を二段階に分ける必要があるということを言わなければなりません。その二段階は聖書の読み方が異なります。第一段階では聖書を黙想します。第二段階では聖書を通読します。

A. 前半の時間に聖書を黙想する
B. 後半の時間に聖書を読む

聖書を読む時間を二段階に分けるおすすめの方法は、午前と午後に分けて読むことです。例えば、早朝の時間に聖書を黙想し、午後の食事の後か就寝前に聖書を読むと言った具合です。後述しますが、後半はまとまった時間が必要なため、時間を確保できる時間帯にしましょう。聖書を読む時間を二段階に分ける理由は目的が異なるからです。前半の聖書を黙想する目的は、霊的命の糧を得て、自己の霊性を高めるためです。この時間に多く読み過ぎてはいけません。三節か四節で十分です。時間にすると15分程度です。後半の聖書を読む目的は、神の言葉の中でいったい何が語られているかを知るためです。この時間は比較的長い時間をかけて多く読みます。おすすめは30分です。

また、聖書を読む方法を二段階に分けるために、二冊の聖書を用意することをおすすめします。前半の時間に使う一冊には一字たりとも書かず、一つのしるしさえ書き込みません。後半の時間に使う別の一冊には、照らしによって見たことを書き込むようにします。言葉で書いても、丸で囲んでも、線を引いても自由です。この理由は、早朝に読む聖書に文字が書かれていると、即時的な語りかけではなく、自分の書き記した文字に気が取られてしまうからです。ですから、早朝に読む用の聖書には何も書き込みません。

A. 前半の時間に聖書を黙想する

聖書を黙想することについては、ジョージ・ミューラーの言葉を引用したいと思います。彼は次のように言いました。

「かつて主は喜んでわたしに一つの真理を教えてくださいました。これは人によってわたしに伝えられたものではありません。今に至るまでに四十数年になりますが、わたしはその真理の益するところを失っていないことを認めます。その要点はこうです。あの時、わたしは以前にも増してはっきりと見たのですが、わたしが毎日必ず注意している最大で一番先になす事は、主の中で喜ぶことです。まず注意すべき事は、わたしが主にどれだけ仕えて、いかに主に栄光を帰しているかではなく、わたしが内側でどのように喜びを得ているかわたしの内なる人がどのように養いを得ているかにあります。わたしは未信者にメッセージすることができ、信者を成就し、苦難にある人を助けることができますし、別の多くの働きを通して自分が神の子であることをこの世において現すことができます。しかし、もしわたしが主の中で喜んでいないなら、内なる人が日ごとにその養いを得ていないなら、わたしがなす一切の事は、正しい霊の中でではないのです。

わたしがそのことをはっきりする前は、少なくとも十年の間、わたしは毎朝、洗面が終わると祈ることを習慣にしていました。そして、その時に知ったのですが、わたしがすべき事で最も重要なのは、神の言葉を読み、それを黙想し、わたしの心の慰め、励まし、警告、叱責、教訓を得る事なのです。わたしがこのように神の言葉を黙想している時、わたしの心は主と経験的に交わることができました。ですから、毎朝早くわたしは新約を黙想し始めました。わたしが数句の言葉で、主がご自身の尊い御言葉を祝福してくださるように祈った後、まず行ったのは神の言葉を黙想することでした。聖書の各節において尋ね求め、その中から祝福を得ようとしました。公衆の面前でメッセージするためではなく、またわたしが黙想した言葉について語るためでもありません。それはわたし自身の魂に糧を得させるためです。

わたしに決まって起こる結果として、数分後にわたしは罪を告白したり、感謝したり、あるいはとりなしの祈りをしたり、懇願するようになります。祈ろうと心がけようとするのではなく、黙想するのですが、たいていとてもすばやく、祈りに転向します。罪を告白したり、とりなしの祈りをしたり、懇願したり、感謝したりの時間を経て、わたしは再び次の句、あるいは次の節を読みます。読んでから、もし導きがあれば、わたし自身のためにあるいは他の人のために祈ります。しかしながら、相変わらずわたしの黙想の目的は、自分の魂が糧を得るためであることを覚えておきます。そのようにした結果、毎日、多くの罪の告白、感謝、懇願、とりなしの祈りがわたしの黙想の中に取り混ぜられて、わたしの内なる人は常に養いと力を感じることができます。朝食の時には、ほとんど例外なく、わたしの心の状態は、喜びがあるか、あるいは平安がありました。わたしの黙想は公衆の面前でメッセージするためではなく、わたしの内なる人の益のためでしたが、主が喜んでわたしに与えてくださったのは、すぐに他の信者の糧になるものでした・・」

神の子であるわたしたちが毎朝しなければならない第一の事は、内なる人のために糧を得に行くことです。わたしたちの外なる人は食べずに働くことができないのと同様に、毎朝わたしたちの内なる人も糧が必要です。内なる人の糧とは、祈りではなく、神の言葉です。これはただ単に神の言葉を読んで、水が水道管を流れるように、その言葉がわたしたちの思いを通過するだけのようであってはいけません。読んだ言葉を黙想し、それをわたしたちの心の中に適用しなければなりません。祈るのに最もよい時とは、内なる人が神の言葉を黙想して養いを得ることによって、御父に出会い、語っていただき、励まされ、慰められ、へりくだらされ、責められた後です。ですから、わたしたちは神の祝福の中で御言葉を黙想すべきです。

B. 後半の時間に聖書を読む

主を信じて間もない人は、少なくとも六ヶ月間は、研究する方法で聖書を読むには適切ではありません。なぜなら、聖書全体についてあまりよく知らないからです。必ず、先に数ヶ月間の時間を費やして、普遍的に聖書全体をよくよく読む必要があります。後半の時間では、聖書を順番に通読し熟考します。一章一章、一回一回、神の御前で継続して読みます。一番良いのは、一日に旧約を何章、新約を何章と決めて読むことです。あまり速すぎるのも、あまり遅すぎるのもよくありません。普遍的に、いつも続けて読みます。

ジョージ・ミューラーは一生のうちに旧約と新約を百回読みました。初信者の兄弟姉妹は聖書を読むことを学び、いったい何回読んだかを記憶するべきです。あなたの聖書の空白のページを、聖書を読んだ回数を記録するために残しておけばいいでしょう。読む方法は、一章一章、一回一回を順番にを原則とします。

早見表

項目聖書を黙想する(前半の区分)聖書を読む(後半の区分)
時間帯午前:早朝、朝食前午後:昼食後、就寝前
目的自分の魂の糧を得る神の言葉の中で何が語られているかを知るため
聖書書き込みをしない聖書書き込みをする聖書
程度三節か四節。多く読み過ぎてはいけません。比較的長い時間をかける
時間15分15分〜30分

Ⅳ. 実際に聖書を読んでみる

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ここでは、どのように読み進めるべきかを実際にやってみます。

A. 前半の時間に聖書を黙想する

1. 読む聖書箇所を決める

これは、朝起きた時に、主との交わりの中で自由に決めるのが良いでしょう。重要なことは、聖書を理解すること、順番に読むことではなく、自分の魂が糧を得ることです。

2. 御言葉を区切って読み、黙想する

エペソ人への手紙第二章六節を例に実践してみます。

キリスト・イエスの中で、わたしたちを彼と共に復活させ、彼と共に天上で座らせてくださいました。
エペソ人への手紙 2章6節

まず、この節を一度読んでみます。その後、「、」で区切りながら、小分けにして読んでいきます。すると、三つに小分けすることができます。

  1. 「キリスト・イエスの中で」
  2. 「わたしたちを彼と共に復活させ」
  3. 「彼と共に天上で座らせてくださいました」

そして、この一つ一つを味わいながら読み、黙想します。

「キリスト・イエスの中で・・・(黙想)」「キリスト・イエスの中で・・・(黙想)」

ポイントは二度、三度ではなく、何度も何度も固い食べ物を咀嚼するように噛み締め、味わうことです。これを続けるなら、あなたの内側にある感覚が起こされます。例えば、自分はキリスト・イエスの中にいるという安息。自分は主のものであるという平安。自分はこの世の中にはいないという照らしなどです。この時、感謝の思いが与えられれば、主に感謝をささげます。賛美の思いが与えられれば、主に賛美をします。祈る思いが与えられれば、主に祈ります。

そして、次の区分に移ります。

「わたしたちを彼と共に復活させ・・・(黙想)」「わたしたちを彼と共に復活させ・・・(黙想)」

ここでわたしたちは、キリストと共に復活させられたという事実を知ります。真にこの事実を見るならあなたはこのように祈るでしょう。「おお、主よ!あなたが復活した時、わたしもあなたと共に復活しました!主よ!わたしはすでに復活の中にいます!主よ!あなたをほめたたえます!」このように、御言葉の祝福の中で主と交わるなら、あなたは多くの励まし、慰め、力を得るでしょう。これが聖書を黙想する方法です。

B. 後半の時間に聖書を読む

聖書を読むにあたり、聖書を読み終えるのにどれくらいの時間が掛かるかを知ることは助けになります。聖書の章の数は「旧約聖書 929章」「新約聖書 260章」で合わせると全聖書は1189章あります。新約聖書を例にあげます。もし一日に一章を読み続けるなら、約八ヶ月で読み終えます。一日に二章なら約四ヶ月、三章なら三ヶ月で読み終えます。平均的に新約聖書の四章は十五分で読むことができます。毎日十五分、四章を読み続けるなら二ヶ月に一回のペースで新約聖書を読むことができます。おすすめは一日に30分間、聖書を読む時間を確保します。その30分間で新約聖書か旧約聖書を通読します。

注意すべきことは、昨日15分、今日は30分、明日は1時間のように、その日の気分に合わせて読まないことです。聖書を読むことは一生涯続けることであり、コツコツと積み重ねていくべきことです。ですから、主との交わりの中で15分と決めたなら、最低でも半年はこのスケジュールで実行します。余裕を見て、段階的に時間を伸ばしていく分には問題はないでしょう。しかし、毎日2時間など読みすぎることもおすすめしません。主の導きがありますように。

早見表(新約聖書)

● 読みたい頻度● 1日に読む章数● 所要時間
1 回 / 1ヶ月9章約35分
1 回 / 2ヶ月4章約16分
1 回 / 3ヶ月3章約12分
1 回 / 4ヶ月2章約8分
1 回 / 8ヶ月1章約4分

まとめ

聖書を読むのに四つの基本的原則があります。

  1. 事実を発見する
  2. 覚え、記憶する
  3. 分析し、分類し、比較する
  4. 神の照らしを受ける

最も重要なことは「事実を発見すること」です。その事実を覚え、記憶し、研究のために分析、比較します。そうすることによって神の照らしを受けることができます。

聖書を読む具体的な方法は、二段階に分けて読むことです。

A. 前半の時間に聖書を黙想する
B. 後半の時間に聖書を読む

前半の「聖書を黙想する」では、御言葉を味わい、祈りや賛美をささげ、御言葉を通して主と交わります。それは霊的な命の糧を得るためです。後半の「聖書を読む」では、決めた時間、節を順番に一章一章読み進めていきます。このように読む章を決めて、また時間を配分して聖書を読むことは、自分にとっての訓練となります。わたしたちは腰に帯を締め、拘束され、神の御前で規律がなければなりません。あなたが30分読むと決めたなら、この30分を守り抜くようにしてください。病気であるとか、休暇で休む時を除いて、一定の時間を維持しましょう。毎日続けていけば、間もなく収穫があるでしょう。

参考資料

ウォッチマン・ニー全集 第三期 第四十八巻 初信者を成就するメッセージ(一)第九編
出版元:日本福音書房

※ 本記事で引用している聖句に関して、明記していなければすべて回復訳2015からの引用です。
「オンライン聖書 回復訳」