17世紀において、主は内なる命の経験の回復をもたらされました。この回復はプロテスタント運動の中にではなく、ローマ・カトリック教会の中にいる主を愛する聖徒によってもたらされました。
Ⅰ. 命の認識の回復
教会歴史や霊的な伝記を注意深く研究するなら、マルチン・ルターは形式上、教会をカトリック主義から連れ出しましたが、ローマ・カトリック教会には、なおも多くの霊的な人々がいたことを見ます。トマス・ア・ケンピスはそのような人でした。彼はルター以前の時代にいました。ガイオン夫人は十七世紀の人でした。ガイオン夫人は奥義派の人たちに近かったのですが、奥義派の路線は彼女から始まったのではありません。ガイオン夫人の前にさえ、多くの人は神の御前で生きていました。これらの人は少数ではありませんでした。ローマ・カトリック教会は彼らを迫害しましたが、彼らはカトリック主義にとどまりました。
いくつかの事柄が、ローマ・カトリック教会の領域の人たちによって回復されました。プロテスタント主義は信仰による義認を回復しましたが、ローマ・カトリック教会にいる霊的な人たちは、内なる命の認識を回復しました。十六世紀のルターと十七世紀のガイオン夫人との間の100年以上に、他の明確な回復はなく、ただ一般的な回復だけでした。第一の回復は信仰による義認であり、第二の回復は内なる命の認識でした。ガイオン夫人は内なる命の認識を回復した人たちの代表です。彼らは神との内なる交わりと神の御前に生きることに注意を払いました。歴史家たちは彼らを奥義派と呼んでいます。彼らの間で、フェネロン神父はとても有名です。他の多くの人がいましたが、彼らは隠されていたので彼らについての記録はほとんどありません。ガイオン夫人、フェネロン神父、ブラザー・ローレンスなど、これらの聖徒たちは、内なる命としてのキリストに関していくらか知りましたが、彼らには実行上の教会生活がありませんでした。彼らは依然としてローマ・カトリックの範囲の中にいました。依然としてマリア像に行きました。彼女はプロテスタント主義の死に対する反応として神によって用いられたにもかかわらず、教会について明確ではなく、カトリック主義の中の偶像についてさえ明確ではありませんでした。
Ⅱ. 宗派(私立教会)とフリーグループ
この時点で主は真理を愛する人々の群れを興されました。これらの信者たちは聖書の中にある多くの真理を見いだし、進んで立ち上がってこれらの真理を実行しました。彼らはローマ・カトリックによって統治されたり、国教会によって管理されたりするのを拒絶しました。こうして、十七世紀と十八世紀に多くのフリーグループが、バプテスト教会、長老教会、メソジスト教会などのいわゆる単立教会や私立教会を形成しました。これらのグループは今日、異なる宗派です。
ある人たちは、正しいバプテスマは水に浸すことによることを見ました。自然に、これがバプテスト教会の始まりでした。バプテスト派は、多くの私立教会のうちの一つです。それは、ローマ・カトリック教会、ギリシャ正教会、国教会に加えて、いわゆる教会の第四の部類と考えられるでしょう。これらの私立教会は、バプテスト教会、長老教会、メソジスト教会などを含みます。今日、多くの私立教会があります。いわゆる教会の第五の部類は、フリーグループです。これらのフリーグループは、すべての聖書教会、単立教会を含みます。聖書教会、単立教会は、ローマ・カトリック、ギリシャ正教会、国教会、どの私立宗派にも属しません。聖書教会、単立教会の中にいる人たちは、彼らのすべての実行を聖書に基づいて持つように努めます。これらの聖書教会、単立教会に加えて、宗派の外で集会する他の多くのフリーグループがあります。
一世紀から始まって、教会は徐々に堕落し、真理から離れました。十七世紀と十八世紀までに、五つの大きな組織が生み出されました。それは①ローマ・カトリック、②国教会、③ギリシャ正教会、④私的に設立された私立教会(宗派)、⑤フリーグループです。しかしながら、あらゆる世紀には純粋な心で主を愛し、真理を愛する少数の人々がいました。これらの信者たちは、聖書の中で彼らが見た真理を実行しました。彼らのキリストについての理解は正確であり、彼らは文字と教理以上に、聖霊を重視しました。これらの信者たちは命を重視し、聖書的な方法にしたがって人々を共に集らせ、自由に礼拝させました。
Ⅲ. 階級制度と聖職者
使徒たちがまだ生きていた時、彼らは「だれでもあなたがたの間で偉大でありたい者は、あなたがたのしもべとなり」(マタイ20:26)という主の言葉を守りました。ですから、使徒たちが生きていた時、他の人たちを管理する偉大な人はいませんでした。パウロは聖霊の導きに従うことによって、各地方で長老を立てましたが、長老は信者たちの上に権力を振るう偉大な人たちではありません(Ⅰペテロ5:1-3)。「長老」という言葉は、命において円熟している信者たちを指します。長老たちはより経験があり、より洞察力があり、比較的思慮深いのです。彼らは年長である必要はありません。パウロはまた彼らを監督と呼びました(使徒20:28、Ⅰテモテ3:1-2)。原文の「監督」という言葉は、上から事柄を監督する人を指しています。長老は、より円熟している人を示していますが、監督は長老の機能、すなわち長老が行う事を示しています。「長老」と「監督」は両方とも同じ人を指しています。
使徒行伝第20章におけるパウロの言葉は、エペソに在る教会の監督が教会の長老であったことをはっきりと示しています(使徒20:17,28)。二世紀において、使徒たちが亡くなった後、イグナティウスという聖書教師が立ち上がりました。彼は主を愛し、最終的に主のために殉教しました。しかしながら、彼は彼の文書の中で監督と長老を二つのグループの人々に分離するという大きな間違いを犯しました。彼はまた監督に特別な権威を与えました。彼が書いたのは、長老が一つの地方におり、いくつかの地方の教会が共にグループとなって、監督の管理の下にある教区となるということでした。こういうわけで、監督は長老の上になりました。この一つの間違いは後に階級制度を生み出しました。この教えに基づいて、監督は長老の上におり、司教は監督の上におり、大司教は司教の上におり、ローマの枢機卿は大司教の上におり、教皇は枢機卿の間から選ばれました。監督のこれらの階級が聖職者と呼ばれます。歴史を通して、純粋な心で主を愛する者たちはローマ・カトリックの聖職者を拒絶してきました。しかしながら、最終的に国教会も聖職者制度を発展させ、いわゆる私立教会も牧師制度を発展させました。これらはみな中間階級です。これは啓示録(ヨハネによる黙示録)で記されている「ニコライの者」であり(啓(黙示録)1:6、2:15)、主が憎んでおられる者たちです。
Ⅳ. 勝利者
ルターは教会を改革しましたが、神は命の認識の回復をローマ・カトリック教会の内側に残されたかのようです。これはプロテスタント主義に対する神の反応でした。何世紀にもわたって、神の働きは人の行動に反応してきました。宗教改革はカトリック主義に対する反応でした。しかしながら、カトリック主義の内側にある命の認識の回復は、プロテスタント主義の律法主義と形式主義に対する反応でした。今日でさえ、多くのカトリック教徒は神の御前で生きています。彼らはプロテスタント主義をさげすんでいます。なぜなら、それは外側の形式を強調しすぎて、内なる命を無視しているからです。
啓示録(ヨハネによる黙示録)第2章18節から29節でテアテラに在る教会に対する手紙は、テアテラに在る教会の内側に「残りの者」と呼ばれる一群れの人たちがいて、彼らが勝利者であることを見せています。勝利者はプロテスタント教会だけでなく、ローマ・カトリック教会の中にもいます。神は内なる命の回復をカトリック主義の中に起こして、宗教改革が地上での彼の必要に応じることができないこと、プロテスタント主義が彼の証しの標準に符号しないことを見せられました。信仰による義認の回復は大きなことであり、命の認識の回復も大きな事柄でした。
神はルターを用いて「信仰義認」を、カトリックの主を愛する聖徒たちを用いて「内なる命の経験」と回復されました。しかし、主はそれだけでは止まらず、さらに進んだ回復の働きをおこなわれました。これは、主が現在おこなわれている「正常な教会生活」の開始でした。
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【全10記事】教科書には載らない教会歴史
【PART5】モラビア兄弟団による教会生活の開始(18世紀)
【PART6】ブラザレンによる回復された教会生活(19世紀)
【ダイジェスト版】教科書には載らない教会歴史
参考資料
・召会と地方召会の歴史 ウィットネス・リー著
・召会の行程 ウィットネス・リー著
・ウィットネス・リー全集 1981年第二巻(上)「主の回復の歴史と啓示 第一巻」
・「回復訳聖書 フットノート」ウィットネス・リー著
出版元:日本福音書房
※ 本記事で引用している聖句に関して、明記していなければすべて回復訳2015からの引用です。
「オンライン聖書 回復訳」