主を愛する聖徒たちは主と会うことを切望します。しかし、多くの聖徒たちの実生活の習慣は、その思いと見合っていないかもしれません。愛する兄弟姉妹が怠惰であることほど嘆かわしいものはありません。

「あなたは今日、何時に起きたでしょうか?」

Ⅰ. 早朝は一日のうちで最も良い時間である

主を信じた人は、毎朝、何時に起きるべきでしょうか?ある姉妹はかつてとても良いことを言いました、「ある人に主を愛する心がどれほどあるかは、まずその人の寝床と主との間の選択を見たらわかります。あなたは寝床をより多く愛しますか、それとも主をより多く愛しますか?寝床をより多く愛するなら、多く眠ります。主をより多く愛するなら、少し早く起きるでしょう」。彼女がこのことを語ったのは、およそ100年前ですが、今日に至ってもこの言葉はやはり新鮮であると感じます。人は寝床をより多く愛するのか、それとも主をより多く愛するのか、いつも選択しなければなりません。主をより多く愛するなら、あなたは早く起きるでしょう。

なぜクリスチャンは早起きをしなければならないのでしょうか?それは人が主にまみえるのに早朝が一番良い時だからです。病気の時以外、すべての兄弟姉妹は早く起床すべきです。多くの病はもともと病ではなく、人が自分を愛しすぎるために病になるのです。医者に多く休息を取るように勧められたら、早起きしなくても良いでしょう。わたしたちは極端に走りたくありません。しかし、健康な人はできるだけ早く起きるべきです。なぜなら、早朝こそ、主にまみえ、主と行き来し、主と交わるのに最も良い時間だからです。マナは日の出前に集められました(出16:14-21)。神が与えてくださる糧を食べようと思えば、人は朝早く起きるべきです。日が昇るとすぐマナは溶けてしまって、食べられなくなります。あなたが神の御前で霊的な養いを得たいなら、霊的に成就されたいなら、霊的な交わりを持ちたいなら、霊的な糧を得たいなら、早く起きなければなりません。遅く起きれば、マナは食べられません。

多くの神の子供たちが病気のような生活をしているのは、決して何か別の霊的問題があるからではなく、彼らの起きるのがあまりに遅すぎるからです。多くの神の子たちは、献身しており、熱心であり、愛する心もあるのに、起きるのが遅すぎるゆえに、クリスチャンとしての正常な生活をすることができないでいます。これは小さな事として、霊性とは関係がないとしてはいけません。実はとても関係があるのです。多くの人が霊的でないのは、遅く起きるからです。神を認識している人は、いつも朝早く起きます。彼らは早く起きて、神と交わるのです。

箴言第26章14節は言います、「戸がちょうつがいで回転するように、なまけ者は寝台の上でころがる」。ここでは、なまけ者は寝台で、戸がちょうつがいでこちらに向きを変えたり、あちらに向きを変えたりするのに似ていると言っています。聖書ははっきりとこのような者をなまけ者と言っています。

朝早く起きるなら、その人は多くの霊的な益を得るでしょう。普通の時間の祈りは、朝早い時間の祈りに及びません。普通の時間に聖書を読むことは、朝早く聖書を読むのに及びません。普通の時間に主と交わることは、朝早く主と交わるのに及びません。早朝は一日で一番良い時間です。一日の一番良い時、早朝を神の御前で用いるべきです。あるクリスチャンは一日の時間を全部、別の事のために費やし、夜になって最も疲れている時に、もうすぐ床について寝ようとする時に、やっとひざまずいて聖書を読んだり、祈ったりします。その人は聖書をうまく読めないし、祈りもうまくいかないし、主との交わりもうまくいきません。ですから、わたしたちは主を信じたらすぐ、朝早い時に時間を割いて、神と交わり、神と行き来することを学ばなければなりません。

Ⅱ. 早起きの模範

聖書において、神のしもべたちはみな早起きしていました。その模範を見てみましょう。

  1. アブラハム – 創世記19:27、21:14、22:3
  2. ヤコブ – 創世記28:18
  3. モーセ – 出エジプト記8:20、9:13、24:4、34:4
  4. ヨシュア – ヨシュア記3:1、6:12、7:16、8:10
  5. ギデオン – 士師記6:38
  6. ハンナ – サムエル記上1:19
  7. サムエル – サムエル記上15:12
  8. ダビデ – サムエル記上17:20
  9. ヨブ – ヨブ記1:5
  10. マリヤ – ルカ24:22。マルコ16:9、ヨハネ20:1
  11. 使徒たち – 使徒行伝5:11

これらの多くの個所の聖書は、神のしもべたちがそれぞれ早朝、神と交渉する習慣を持ち、それぞれ早朝に働く習慣を持ち、それぞれ早朝に神と交わる習慣を持っていたことを告げています。聖書には早く起きなさいという神の命令はありませんが、忠実に神に仕えている人たちはみな朝早く起きていたことを見せている多くの模範があります。主イエスでさえ早起きされました(マルコ1:35。ルカ6:13)。主がこのように模範を示してくださったなら、わたしたちはなおさらのことではないでしょうか?

Ⅲ. 早朝すべき事

早起きすればそれで良いというものではありません。霊的な学び、霊的な内容がなければなりません。ここでは早朝に特にしなければならない幾つかの事を取り上げます。

A. 神と交わる

雅歌第7章12節は言います、「わたしたちは、早く起きてぶどう園に行き、ぶどうの木が芽を出したか、花が咲いたか、ざくろの花が咲いたかを見ましょう。そこでわたしの愛をあなたに与えましょう」。ここから、早朝は主と交わるのに最も良い時であることがわかります。交わりの意味は、わたしたちの霊を神に向かって開き、思いも開き、神に光を与えていただき、神に語っていただき、神にわたしたちを印象づけていただき、神に触れていただくことです(詩119:105、147)。朝早く起きて神の御前に静まり、神の御前で黙想し、神の御前で導きを受け、神の御前で印象づけられ、神に語っていただく機会を得させ、神に触れる学びをしなければなりません。

B. 賛美と歌うこと

早朝には賛美の声と歌う声があるべきです。歌う声が一番良いのは早朝です。早朝は賛美の時です。早朝は神に向かって歌う最も良い時です。最高の賛美を神に向かって送り届ける時は、わたしたちの霊が最も高揚している時です。

C. 聖書を読む

早朝はまたマナを食べる時でもあります(マナはキリストを指しています)。マナを食べるとはどういうことでしょうか?それは毎日早朝にキリストを享受すること(enjoying)、すなわち神の語りかけ、神の言葉を享受することです。それを食べてこそ、わたしたちは荒野を進んで行くことができます。マナを集めるのは早朝です。朝早く起きながら別の事のために時間を使うなら、霊的な面で満足を得たり養いを得ることはできません。

聖書を読むための四つの基本原則と実践的ガイド – 聖書の読み方 – 初信者シリーズ 7 で述べたように、わたしたちは二冊の聖書を用意し、一冊は午後読むためとし、しるしをつけたり、多くの事を記したりします。もう一冊は早朝マナを食べるために用い、中にはどんな言葉も記さず、どんなしるしも付けません。

早朝は長く多く聖書を読まないで、神の御前で聖書を開いて細やかに一段落を読んで、神との交わりと聖書を読むこととを混ぜ合わせて、歌うことと聖書を読むということも一緒に混ぜ合わせます。これらの事を神の御前で一緒に混ぜ合わせて行い、同時に祈りを加えるのも良いでしょう。神の御前に来て神の言葉を開き、神の言葉を読んで罪の感覚があったなら告白しても良いでしょう。ある聖書の言葉が言っている事柄の上で、神があなたに恵みを与えておられると感じたなら、感謝しても良いでしょう。また聖書が言っているある事柄の上で神に願い求めて、「主よ、この事は真にわたしに欠けているところです。この一段落、この一節、この一句の言葉は、本当にわたしに欠けています。主よ、どうかあなたがわたしに与えてくださいますように」と言っても良いでしょう。またとりなしの祈りをしても結構です。読んでいる時、ある兄弟姉妹の状況がちょうどこの個所の聖書に反すると覚えたなら、神の御前で彼らを訴えたり、とやかく言うことはせずに、「神よ、この句の言葉がわたしの上に成りますように。またこの言葉が某兄弟、某姉妹の上に成りますように」と言えば良いのです。

わたしたちは、朝早くマナを食べる時、祈りを神の言葉の中に織り込み、賛美を神の言葉の中に織り込み、交わりを神の言葉の中に織り込むことを学ばなければなりません。多くの兄弟姉妹が荒野の中を歩けないでいるのは、食べ方が足りないからです。主が恵みを与えてくださいますように。

D. 祈り

わたしたちは早朝、神の御前で交わり、賛美し、マナを食べなければなりませんが、祈りもまた必要です。詩篇第63篇1節は言います、「神よ、あなたはわたしの神です。わたしは切にあなたを求めます」。この「切」は、原文では「早く」という意味です。ここでの祈りは専一に行う祈りです。交わりをし、賛美もし、マナも食べて、最後にあなたは十分に力を得て、すべての事を神の御前でよくよく祈ることができます。祈りは力を要します。ですから、まず早起きして、神に親しみ、養われなければなりません。その後、30分か15分を費やし、重要な事柄のため、あなた自身のため、教会のため、世人のために祈ります。

以上のことから、主を信じている人はだれでも、早朝のこの四つのこと、すなわち神と交わり、賛美し、聖書を読み、祈ることを、神の御前でよくよく行うべきです。早朝にこのようにしたかどうかが、その日の生活に必ずはっきりと現れます。ミューラーのような人でさえ、早朝、主によって養われたかどうかが彼の一日の霊的な状態を決定すると言いました。わたしたちは、もし人が霊的行程において前進しており、霊と魂が完全に分けられる経験をし、外なる人が砕かれているなら、容易に揺らぐことはないであろうことは認めます。しかし、それは別の事です。初信者はとにかく早起きを学ばなければなりません。

Ⅳ. 朝早く起きる実行

最後に少し実行について述べましょう。どうしたらわたしたちは朝早く起きることができるのでしょうか?幾つかの事に注意すべきです。

早起きする人はすべて夜早く寝るという習慣がなければなりません。夜遅く寝て、朝早く起きようと思うのは、理に適っていません。また早起きの目標は、高くしすぎてはいけません。だいたい五時、六時が適切な時間でしょう。極端に走ることで、家族との間に問題を引き起こしたり、職場で問題を引き起こしたりすべきではありません。よくよく神の御前で考慮すべきです。

少し年長の人たち、重みのある人たちは、神の御前でこの事を維持していただきたいと思います。教会は怠惰な人に対しては一押しして、その人を奮い動かすべきです。初信者はこの大きな祝福のある状況にもたらされなければなりません。機会があるごとに、「あなたは毎日何時に起きますか?」と尋ねましょう。しかし、自分自身が神の御前でよく学んでいなければ、このような事をするのはあまり容易ではありません。ですから、わたしたち自身がまず神の御前で先に学ばなければなりません。

朝早く起きることは、信者の習慣の中で第一のものであると言って良いでしょう。食事の時に神に感謝するのは一つの習慣です。主日に集会するのも一つの習慣です。朝早く起きるのはさらに信者になければならない習慣です。とにかく、初信者は習慣を養わなければなりません。このことをよくよく学ぶなら教会は前進するでしょう。一人の兄弟が光を多く得れば、教会全体が明るくなります。教会が貧しいのは、かしらから受け取る人が少なすぎるからです。一人一人がみなかしらから受け取ることができれば、個人で得るものは多くなくても、合わせれば豊かになります。

わたしたちは教会において、少数の人だけが働きをすることを望みません。あらゆる肢体が神の御前で立ち上がり、教会全体が立ち上がって、豊富を得、恵みを得ることを望みます。一つの肢体が得ることは、からだ全体が得ることです。もしすべての兄弟姉妹がこの道を歩むなら、神の御前で受け取る多くの器官が備わり、わたしたちはますます豊かになります。わたしたち全員が早起きを学び、早起きし続けるなら、霊的な前途があるでしょう。

参考資料

ウォッチマン・ニー全集 第三期 第四十九巻 初信者を成就するメッセージ(一)第十一編
出版元:日本福音書房

※ 本記事で引用している聖句に関して、明記していない場合はすべて回復訳2015からの引用です。
「オンライン聖書 回復訳」